肯定 |
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思えばいつでもひとは肯定と言うものを求めて生きている。
肯定してくれる言葉、ひと、考え、モノなんかをいつでも求めている。
妥当と思える選択肢は世の中に無数にあるけど、それ以外を選んでも間違いじゃないん。
たとえば朝飯と言えば、だいたいみんな主食は米か、パンだけど、麺を選んだってだれもそれを責めない。
ただ、朝飯の例で言えばそこに他人は介在しないから単純だけど、世の中ってのはだいたいの問題に人が関わってくるから複雑な問題になる。
そして自分を肯定しにくくなっていく。
朝飯を一緒に食べる人に麺嫌いのアメリカ人が入ってきたら、麺の立場はもっと下がる。
言いすぎかもしれないけど、その問題の延長線上にすべてのものごとがある様に思えてならない。
喧嘩や犯罪の是非、核ミサイルのボタンを押す時の判断。
もちろん、犯罪、核までいくと間違った時の全面肯定ってのは難しくなってくるけど、せめて「しょうがなかった」って思えるかどうかでだいぶ違う。
大きなミスを犯しても、最終的に自分を肯定して人は生きている。